路線は、当初は興正寺前から大久手を経て千種の古井ノ坂、吹上、千早を結んでいた。馬車鉄道は飯田街道を通っていたが、山中から先は道幅が狭く、電車が通れないため、その北側に新しく敷設された。やがて、今池〜大久手(0.7km)、興正寺(0.5km)と順次路線を延ばし、大正4年(1915)5月八事に名古屋市営の共同墓地が出来たのを機に、墓地近くまで0.5kmほどレールを引き込んだ。そして、9号車を改造して
「霊柩電車」を走らせた。これは、市営になるまで走っていた。尾張電気軌道は熱心に乗客の誘致を行い、「八事へ電車が行くわいな。1区1銭,2区2銭,往復切符は13銭」と、今で言うCMソングを作ってPRしたり、八事の近くに
尾張八事球場や遊園地を造ったりしていた。